記憶
墨には記憶が宿る
そして石は強烈に歴史を記憶している。
石にある傷一つひとつに刻まれた記憶。
宮城県石巻市雄勝
そこでは古くから硯に適した材料として採石が行われてきた。
雄勝石は、黒色で光沢がある硬質の石材で、粒子が均質で圧縮や曲げに高い強度を持ち、経年変化等への耐性が高い。
江戸時代初期には、牡鹿半島へ鹿狩り訪れた仙台藩主伊達政宗に雄勝硯を献上し、称された歴史もある。
僕は2011年の東日本大震災をきっかけに訪れた石巻市でこの石と出会った。
そして現地の人から、大切な人の形見だという硯も譲り受けた。
その時、硯とともに受け取った割れた雄勝石の破片を、ずっとペンダントとしてつけていたけんだけれど、いつの頃からか神棚の前に置かれっぱなしになっていた。
実は今月末にアトリエを引っ越す予定をしていて、その準備中に意識がそこに止まった。
なんか呼ばれている感覚?
すぐに奈良で精麻を編む作家・高岡春満氏に依頼し、紐を編み上げてもらった。
しかも今回は特別に麻の繊維を、雄勝硯ですった墨で染めた。
常々言うように、墨にも石にも確かな記憶がある。
それは東日本大震災の忌々しい記憶だけではなく、石自体がその街で大切にされてきた記憶や、硯を制作した人の記憶、かつてその硯を使っていた人の記憶、そして今回墨を擦りながら東北に想いを馳せたその時間という記憶。
「書」は長らくの間、歴史を記憶し続けてきた。
その証拠に、何百年も前のものが墨の記憶とともに現代に歴史を伝えてくれている。
今年中止になった「祈りの旅」も、この時代に何かを残せるよう違ったカタチで今も進み続けています。
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