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伊藤 潤一 (いとう じゅんいち) 
1986年12月19日  B型
三重県松阪市出身
台湾・國立故宮博物院 国際正会員
みえの文化びと 登録

大学在学中の2007年3月、一人の書家との出逢いをきっかけに、筆と墨を使った表現活動を始める。 ストリート時代を経て、百貨店やショッピングセンターなどでのイベントを経験。現在では創作活動をはじめ、店舗看板やパッケージデザインなども数多く手掛け、その他にも他ジャンルとのコラボレーション、ライブパフォーマンス、トークライブ、個展などカタチに捉われないスタイルで活動を展開中。 2013年からはその活動の舞台を海外にも広げ、国境を越えた文化の力を発信中。スイス、フランス、イタリア、台湾など、世界主要都市にも多く展示経験があり、台湾では世界三大博物館のひとつ「國立故宮博物院」より国際正会員として認定され、注目を集めている。その後も、2015年にミラノ国際博覧会(ミラノ万博)、2016年に主要国首脳会議(G7伊勢志摩サミット)で装飾、演出を手掛ける。

 

〔略歴〕

2013年 第20回 清水寺『古と優艶の書画展』
2013年 モントルーアートフェア(スイス)
2014年 永遠の朋友展(台湾・中正紀念堂)
2014年 国際平和美術展(京都市美術館、パリ・ユネスコ本部)
2015年 ミラノ国際博覧会公認「JAPANESE ART TASING EXPO 2015」(イタリア・ミラノ)
2016年 主要国首脳会議(G7伊勢志摩サミット)配偶者プログラム夕食会会場 装飾・演出

 

10年目の節目に

◉「書く」とは?

書家として作品を発表し続けて10年。
最近になって僕の書は「捧げるもの」だと気づきました。
それは個人の幸せのためであったり、イベントの成功のためであったり、お祭りであったり。
そのどんなときにも人々の想いや祈りを、書にこめて奉納してきたんだと、今は思います。
古来から日本人が大切にしてきたものに「奉る」という精神があり、「書」のすべての所作は、「日本」という精神の根幹にあって、「神事」だと思っています。
そして様々な芸事を体験、体感することを通して、「芸」というものは本来、神様へ「平和」を願い、捧げるものであり、人類への、そして宇宙全体に対する敬意と感謝であるという自らの見出した答えこそが、「神事」だという事の裏付けとなりました。
そんな日々の活動で浮かび上がってきたイメージが「超越した存在」と人々が「ひとつになる」ことでした。
ふと、祈りや想いを奉納するために僕という人間が使われているんだろうなと感じることがあります。
そしてそのことに気づいたとき、僕の中に渦巻いていた行き場のない感情が晴れ、腑に落ちました。
「ひとつになること」それこそがこれからの目指す道。
過去の自分やその葛藤と自らを語らい、言葉を重ね、自分をつきつめてさらに自分になっていく。
そしてそれを表現していくと、その表現は神になる。とにかく自分を表現し続けるとそこに神が宿る。
だからこそ、これからも僕の書は、祈り、捧げ、ひとつになるための神事であり続けたい。

 

◉生命そのもののエネルギーを感じたい

書は白と黒の世界で、文字は黒。
そこにあるのはエネルギーや想いそのものなんじゃないか。そう思っています。
この黒を生み出す、「墨」という存在、これは生命(いのち)そのものです。
墨をすり、墨の生命に耳を澄ませ、生命そのもののエネルギーを感じる。
筆もまた然り、そこには生命があります。
かたちのない「想い」や「直感」を、かたちにして平面に「おろす」道具。
僕は道具を大切にすることは、生命を大切にすることにも繋がると思っています。
すべてのものに生命が宿っている。
これは、日本文化の根底にあり、忘れてはいけない日本人の大切な自然観です。
すべてを敬い、尊び、それに畏怖する。人は自然なしには生きていけない。
ありとあらゆる自然物に神が宿り、
自分は自然の中のひとつなのだということを決して忘れてはいけない。
すべてのものに命が宿っているからこそ、そこにただならぬ力を感じる。
大げさだと思われるかもしれないけれど、書を通じ、作品を通じ、生命の大切さや愛しさも伝えられたらなと思っています。

 

◉日本人が「日本人らしさ」を取り戻すために

ここ数年、海外でも活動させていただけるようになりました。
最初のうちは、違う言語を使う人たちにとって書は「意味のない造形」なんじゃないか、と思っていました。
でも僕の作品の前で笑顔がこぼれる瞬間や立ち止まり考える人の姿を見て、
文化の力というか目に見えないもので繋がる空気を感じて鳥肌が立ちました。
作品から伝わるものは、言語や文化、国境を越えて同じなんだと実感できました。
そして、文化を越え、言葉を越え、国境を越え、つながる感覚こそ平和の象徴だと今になって思います。
僕はそれをもっともっと世界に向けて発信していきたい。
すべての違いを越え、認め、共感し、つながることを。
それは、僕が大声で言うようなことじゃないかもしれないけれど、日本人が「日本人らしさ」を取り戻すためだと本気で思っているからです。
日本人は、長い長い歴史の中で、交わり、混ざり合い、様々な文化、信仰を融け合わせてきた。
それがまさに、八百万の神信仰をより色濃く、強いものにしてきたのじゃないのでしょうか。
この国で、脈々と受け継がれてきた歴史や文化こそが「生命の根源」であって、「日本人」の蓄積された精神性、培われた自然観こそがこの国の宝だと思います。
「神」という視覚的には決して捉えることのできないものへの畏敬の念と日々への感謝。
人智を超えた偉大なエネルギーやリズム、大地との接点にこそ「神」を感じることのできる何かが宿っているのかもしれません。
まだまだ未熟な存在でありながら、日本文化と向き合い、世界を見て歩き、また日本で筆を持ち、多くの人との出会いや言葉から少しづつ日本を学び、今日本の可能性を感じています。
「日本が世界を繋いでいける」この想いが日々大きくなるにつれて、確実に実践としても生きてきています。
「日本人らしさを取り戻す」とは「平和な世への歩み」を意味しているのかもしれません。

 

◉宇宙観

たまに自分でも驚くような「規格外」の作品が生まれることがあります。
そして、それを「見せたい」という感情こそが「作品」なんだと思います。
あくまでも「それ」ではなく、空気や時間すべても含んだ「見せたい」という感情。
それは、自分じゃない「ナニカ」の力が動いた時、必ず感動とともに生まれます。
「伊藤潤一」であって「伊藤潤一」じゃない。
「伊藤潤一」があって、「伊藤潤一」がない。
そこにすべてがあって、それがすべてじゃない。
自然を相手にしているからこそすべてが上手くはいかないし、でもその分、自分じゃない、自分以上の力が出る時があります。
命あるものに敬意を示せば、かならず彼らは応えてくれる。
ミリ単位に計算し尽くされたものも、そこに人の手が加わることでミクロの世界に変わる。
それが「てしごと」が創り出す「宇宙」なのかもしれないなと最近では思います。
そしてそれこそが人間に唯一創ることを許された「宇宙」なのかもしれません。
僕の作品には、墨が演出する黒の微妙な色合い、落款の朱の見え方、黒と朱のバランス。
そしてそこに白の存在もある。やはりこれが「宇宙」なのかもしれない。
「宇宙」とは何か?それを突き詰めて語り出すと話は尽きなくなるけど、僕的な言葉で言うと、「見えないもの」、「そこにないもの」だと思っています。
よく言われることだけど、アート、芸術に答えはありません。
だから、僕たちが生み出すものは常にグレーであり続けるしかない。
ただそれは、見る人によって限りなく黒に近いか、白に近いか。
もしくは、黒に見えるか、白に見えるかというだけ。
書いても書いても納得のいく作品はなかなか作り出せないけど、たぶん「もうこれしかない」という感覚より、そこに感情が生まれなくなってこそゴールなのかもしれません。
感情を失うほどの「感動」が、ホンモノの作品の生まれる瞬間であって、自分が自分を超えられる瞬間。

 

◉これから先の1000年に向けて

これまでがむしゃらに走り続けてきた10年は、「今」という時間を経て、これから先の10年へと繋がっていきます。
そしてそれは、100年先、1000年先への「奉納」でもあります。
先人たちが今の僕たちにたくさんのものを残してくれたように、僕はこれから先の誰かに何かを残していきたい。
今を生きる「責任」として、本気でそう思うようになりました。
何百年前の、もしかすると1000年以上も前のものが今なお生きてる。
間違いなくこの時代に温もりを残しながら呼吸をしている。
いつかはるか先の時代で、僕のつくりだしたものもそういう存在として、この時代の空気と共に温もりを伝えられたらこれ以上に幸せなことはありません。
「書」とは何か。
1000年先まで残る「墨」
そこには一体何が宿るのか。
1000年先も朽ちることのない和紙。
それは一体何を伝えようとしているのか。
1000年前の物が残されているのに、1000年後に何も残せなかったとしたら、
今の人間は何をしていたのかということにはならないだろうか。
それの探求こそが「これから先」の自分が成し得たい事の礎になると信じています。

活動記録

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